Mediumの『ここは自分の場所じゃない感』について
Mediumとnoteを自分なりに比較して感じたこと
先日Mediumでこんな記事を書きました。
僕の中でのMediumの位置づけ
いろんなsnsやブログなどの発信ツールがあります。僕もいくつかやっていますが、多すぎて気持ち的に大変だなぁと感じていました。
medium.color-chips.net
手軽に投稿できて、自分のスペースだけれど自分の「帰らなければならない家」ではないのでその点ではなにやってもいいじゃないという感じ。言うなれば一人暮らし?下宿?
Mediumで幾つか書いていますが、この「自分の場所じゃない感」を不思議と心地よく感じています。何だこの感じ。
Mediumの「ここは自分の場所じゃない感」
同じように?(視点や論点は違うかもしれませんが)考えている人がいて、面白いと思いました。
ブロガーの視点
Mediumにいくら記事を投下しても、そのような感覚はほとんど生まれてきません。簡単に言えば、「ここは自分の場所ではない」という気持ちがぬぐえないのです。
ライターの視点
ライターさんからすれば、(いろいろな意味で)面倒なブログを立ち上げる必要がありません。更新頻度を気にする必要はありませんし、Mediumには「書くことに必要なもの」がだいたい揃っています。アクセス→テキストを打つ→写真を添える→公開。これだけです。ややこしい操作は少なく、だいたい見たとおりに記事を書けます。ブログのデザインなりプラグインを考慮する必要もありません。ただ書けばいいのです(もちろん、良い記事を)。
自分がどの立場にいるか(気持ち的に)によって、Mediumに対する感覚が変わりそうだなという意見。当たり前といえば当たり前かも知れませんが、読んでてなるほどと思いました。
上記の記事でもMediumはブロガーとライターのちょうど間にある(場な)のではないかと考察しています。そしてそこに新しいコンテンツが生まれるかも。ということだそうです。
Mediumとしては、ライターにはライター自身はどこで書こうと構わないのでそのままMediumを使ってください。ブロガーは自身のブログがあるから。。という人に対してimport機能という形で、ブログもこっちもやっていいんですよという気構え。
Mediumを読む側からこう感じている人もいました。
誰かがMediumに書いた記事ではなく、誰かが書いたMediumの記事という感じがする。書く人もそれはなんとなくわかっていて、Mediumの記事として書いているんじゃないだろうか。
Mediumに参加するブロガーは、(ブログ記事の転載ではない記事を書くときに)Mediumにいる時はライター的な視点で書いているんじゃないでしょうか?(そしてそれで良い人が残っている。)
自分は、どちらかというとブロガー的視点(気持ちだけは)です。冒頭にも書いたようにMediumに対する「自分の場所ではない感」がありますが、なんとなく感じているこのMediumに対する気持ちは利点だと思っています。
前述の「アソシエーターとしてのMedium あるいは潮目の発生」という記事で、Mediumは(ブロガーにとって)「フリーマーケットに出店」という表現をしていました。店舗とは違う。書く側も読む側もこう考えているとなると、Mediumでは団体としてのブランディングは難しいのかもしれません。一応Publicationという機能はありますが、MediumではMedium自身とそこにいる個人が強く出ているような気がします。僕自身は個人でブランディングしたいと思っているので良いですが。(多くのブロガーは個人なので同じように考えている人は多いかもしれません。)
noteは?
ちょっと話がそれますが。
noteなんてものもあります。プラットフォームとしてはMediumと似てるなと思っていますが、どちらかと言うとクリエイターの創作・成果の発表の場みたいな感じ。
noteにも、Mediumと同様に「ここは自分の場所じゃない感」を感じていますが、両者は違うとも思っています。
noteにはMediumのように他の人達と交流する方法が多くはなく、
「スキ」(Facebookの「いいね」的なもの)とコメントくらいです。
また、記事に対する課金ができることがnoteの大きな部分であります。(課金の方法も様々)
ブロガーやライターはあまりnoteには出てきていないようです。(もちろん、活用している人もいます)noteとMediumのこの違いはなんだろうか?個人的で且つ感覚的な感想ですが、
- note外から(もしくはnote外へ)のつながりの希薄さ
- Mediumの方が書くことに集中できる環境がある
1.のnote外から(もしくはnote外へ)のつながりの希薄さ
noteから外に繋がりにくい?ような印象はあります。
noteで作品を紹介して、無料若しくは誰かが課金して見る・読む・聞く。で完結してしまっているようなイメージ。
2.のMediumの方が書くことに集中できる環境がある
についてですが、Mediumの方が、テキスト(特に記事)を書くことに集中できる環境があるのは確かです。非常に便利。
テキストだって立派な作品です。なのにnoteに書くこととMediumに書くことは何が違うのか?
MediumではMediumのエディタ上で書いていますが、noteでは他のツールや環境で作った作品をnoteに届けているという印象を持っています。(こう思っているのは僕だけかもしれませんが)この違いは大きい違いなんじゃないだろうか。
この、Medium上で書けるというのは、noteの「自分の場所じゃない感」よりもMediumの「自分の場所じゃない感」を「程良く感じる」要因かもしれません。
心地よく、ワクワクする『ここは自分の場所じゃない感』
ここまで書いてわかったのが、僕はこのMediumの程良い「ここは自分の場所じゃない感」をとても気に入っているんだろうな。
それが、
「手軽に投稿できて、自分のスペースだけれど自分の「帰らなければならない家」ではないのでその点ではなにやってもいいじゃないという感じ。言うなれば一人暮らし?下宿?」
という一人暮らしのワクワク感を感じているのかもしれません。